美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.98」
先日、愛用の万年筆が見つからなくなって、家中を半日ほど探しまわりました。
原稿はすべてパソコンで書いていますから、万年筆がなくても困らないのですが……。
私がパソコンを使いはじめたのは1998年でした。
インターネットを利用するためにパソコンを導入したのです。
その15年以上前からワープロを使っていてキーボードには慣れていましたから、パソコンにもすぐに対応できました。
ワープロの場合は書き上げた原稿をプリントアウト(紙に印字)して、それをファクスしていましたが、インターネットを利用することで紙が不要になりました。
そのころ、パソコンで原稿を書いていた作家はごく少数でした。
インターネットをいち早く取り入れたのは、やはりSF作家でした。
そして、SF専門誌を発行していた早川書房だけが、インターネットで原稿のやりとりをしていました。
ほかの出版社では個人でパソコンを使っている編集者はいましたが、会社で導入していたところはなく、私の記憶では講談社が1999年にパソコンを導入し、他社もそれに続きました。
当時はインターネットの使用料が高く(電話回線と同じで3分間10円)、原稿を送るときだけ接続したものです。
しかも速度がひじょうに遅かったので、写真など大きなデータを送るのはまだ現実的ではありませんでした。
やがてADSLを経て、現在の光通信へと進化しました。
ワープロを私が早くから導入したのは、盛岡在住の作家中津文彦さんと高橋克彦さんがやはりワープロをお使いになっていたからです。
お二人と知り合ったころ、私はまだ小説家としてデビューしていませんでしたが、ワープロを見せていただいてすぐに使いはじめました。
もう35年も前のことです。
それでも私は万年筆を常にそばに置いています。
高価なものではなく、一本1000円程度の安物ですが、お気に入りの品です。
一方、どんなに便利であってもパソコンに愛着を持つことはないのですから不思議です。
なかなか見つからなかった万年筆は、背広の内ポケットに入っていました。