美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.90」
ふだん、私はよくFMラジオを聴いています。
FMラジオは25年ほど前から番組の内容が激変しました。
それまでFMラジオといえば洋楽の番組が中心でしたが、邦楽(J-Pop)中心になったのです。
そして、音楽がFMラジオの「売り」だったはずなのに、トークが番組の中心になりました。
さらに、それ以前から洋楽番組の内容にも変化があらわれていました。
私が十代のころ(ということは昭和40年代)はイタリアやフランスのヒット曲もたくさん流れていたのに、アメリカのヒット曲に独占されるようになっていったのです。
この傾向はその後もどんどん進んで、今ではフランス語やイタリア語の音楽を耳にする機会がすっかりなくなってしまいました。
私は1年間におよそ30本の映画を観ます(これは劇場で観たものだけで、テレビ放映やDVDは数に入れていません)。
私が子どものころは、映画を30本観れば、そのうち10本くらいはフランスやイタリアの映画が入っていたものですが、今はほぼすべてがアメリカ映画です(中国資本の入ったアメリカ映画はありますが)。
フランス映画はたまに劇場にかかることがありますが、イタリア映画となるとまったくかからない年も珍しくありません。
出版の世界では翻訳小説がめっきり売れなくなって(ハリー・ポッター・シリーズのように突発的な大ヒットはあるのですが)、編集者が危機感を募らせています。
これらの状況を見ていると、グローバル化とか多様化という言葉が実に空虚なものに感じられます。
実はアメリカではかなり以前から、海外の小説、映画、音楽がほとんど入らないという「文化の鎖国状態」がつづいています。
それらを享受しているのはニューヨークやロサンゼルスなどごく一部の大都市の市民に限られているのです。
その結果、どのようなことが起きたか、改めていうまでもないでしょう。
上に例を挙げたように、日本でも「文化の鎖国状態」がじわじわと広がっているような気がしてなりません。
この先に起こり得ることを今のアメリカが暗示している―いえ、私の取り越し苦労だとよいのですが。