当館が毎月発行している小さな情報紙「石神の丘美術館通信 イシビ」にて連載中の、芸術監督・斎藤純の
ショートコラムをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤 純のショートコラム vol.166
当館で開催中の『いわてまち石彫展』(4月7日まで)を観ながら(これがなかなか力の入った展示で岩手町教育委員会社会教育課はなかなかやるなあ、と感心することしきり)、彫刻のことから文明のことまで幅広く(しかし、浅く)あれこれ考えました。
日本では1万年前の縄文時代の地層から、表面に紋様のある土器が出土していますから、文字や絵画よりずっと前から「立体=彫刻」をつくっていたわけです。
時代がずっと下って、紀元前8世紀頃になっても私たちの祖先はまだ土器をつくっていましたが、同じ頃、ギリシヤではリアルな石彫がつくられています。ざっくり言うと、大理石を用いた石彫はその頃にもう完成してしまい、後世の彫刻家たちは何百年もの間、今日に至るまでギリシヤ彫刻をお手本にしてきたのです。
日本の古い石彫は街道沿いのお地蔵さんなどには見られますが、古い仏像は木彫です。日本に仏教を伝えた中国の仏像は石彫なのに不思議です。いい石がなかったのか、石を掘る技術がなかったのか、もしかすると私たちの祖先は石彫の仏像を「肌に合わない」と感じたのかもしれません。
同じように、まだ土器を使う縄文時代が続いていた頃に中国では金属(青銅)が使われだしましたが、日本にはなかなか伝わってきませんでした。原料や技術の問題もあったと思いますが、それよりも「縄文人らはその必要を感じなかった」のではないか……などと岩手町の石彫から古代文明論まで思考の飛躍を、束の間、楽しみました。