美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.111」
平成最後の1年が終わろうとしています。
みなさまにとって、この1年はどんな年だったでしょうか。
私はといえば、相変わらず慌ただしかったというのが正直な印象です。
ここ数年は時間に追われるような日々ではなくなったものの、それでも「よくもまあ次から次へと」と我ながら呆れるほどスケジュールが詰まった1年でした。
「公」のお役目を減らして、「私」を優先させたいのですが、なかなかそれも思うようにはいきません。
しかし、家族ともども大きな怪我も病気もなく過ごせましたから、いい1年 だったと言っていいでしょう。
実際、あらゆる点で大きなできごとのない1年でした。
大きな買物もしていませんし、大きな旅行もしませんでした(北海道ツーリングが計画倒れに終わったのは本当に残念です)。
そんな中で、私がバンドマスターをつとめているザ・ジャドウズ(エレキインストとGS、昭和歌謡をレパートリーにしているバンドです)が、全日本エレキ音楽祭(一関文化センター)と道の駅石神の丘開業祭に出演できたことは今年のハイライトです。
もうひとつ忘れてならないのは、私が七代目編集長(兼経営者)をつとめている『街もりおか』が創刊50周年を迎えたことです。
これは盛岡文士劇を始めたことでも知られる鈴木彦次郎(1898-1975)が『銀座百点』を手本に始めたもので、盛岡の人にとても愛されている月刊誌です。
大きな節目を無事に乗り切れたので、肩の荷を下ろした気持ちです。
来年の話をすると鬼が笑うそうですが、今、私は来年の計画をいろいろと練っているところです。
ザ・ジャドウズの久々のリサイサル(ワンマンコンサート)、北海道ツーリングなどを考えていると時間が経つのも忘れてしまいます。
そして、そういう計画を立てられることの幸せを噛みしめています。
ところで、私は長編小説『テニス、そして殺人者のタンゴ』で昭和63(1988)年にデビューしました。
平成になったのはその翌年でしたから、「平成」は私の作家歴とほぼ重なっています。
来し方を振り返り、少々、感傷的になっている師走の今日このごろです。
それでは、よいお年をお迎えください。