美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.96」
出版不況といわれて久しい中、書店のない市町村が香川を除く全国46都道府県で420にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占めるという報道がありました。
全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減っています。
その一方で、300坪以上の大型店は868店から1166店に増加しているそうですから、書店の大型化が進み、昔から地域に根ざしてきた地元の小さな書店が大資本の大型店に駆逐されているという構図が読み取れます。
何年か前に「書店に入ったことのない」という人が十代を中心に増えているという報道もありました。
このとき、コンビニが書店の役割を果たしていると知り、驚いたものです。
本来、コンビニに書店の代わりはとてもつとまりません。
つまり、書店が必要とされていないという事実をこの報道は伝えていたのです。
書店に人が行かなくなれば、書店が減っていくのは当然の流れであり、仕方がありません。
書店が消えていく前に、映画館が全国津々浦々の市町村から消えていきました。
最後に残ったのは、大手資本が経営するシネコンです。
しかし、映画は娯楽(といって軽視するわけではありません)ですが、書店は娯楽だけでなく、文化・教養の場です。
そして、そこから文化・教養が拡散していきます。
したがって、書店の消滅は文化の消滅を意味すると結論づけても決して短絡的とはいえないでしょう。
私が暮らしている盛岡では、大手の書店チェーンが進出してくる中で地元の書店が頑張っていますし、シネコンと地元の映画館も共存しているようです。
書店やレコード店に入り、五感を澄ませると、本やレコード(CD)が私を呼ぶ声が聞こえてきたものです。
そうして出会った小説や音楽から、どれだけ多くのものを与えてもらったことか計り知れません。
もっとも、ひところに比べると私の書店通いとレコード(CD)店通いもずいぶん減りました。
私でさえこうなのですから推して知るべし―かもしれません。