美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.94」
オートバイで山奥の道を走っていると美しい樹肌を持った、立派な木に出会います。
ブナです。
今では山奥に行かないと見られませんが、太古、東日本はブナの木に覆われていたそうです。
ブナ林はキノコなど今で言う林業特産品の宝庫です。
ブナ林は昆虫、鳥、ツキノワグマなどの動物たちが豊かに暮らせる場所でもありました。
また、ブナ林の山から川が流れる湾は、貝類、海草類やサケ・マスなどの海産物が豊富です。
川の水に養分がたっぷり含まれているからです。
それらを背景に東北を中心に発展したのが縄文文化です。
縄文は我々東北人のルーツです。
そういう意味では、ブナも我々東北人にとっては先祖代々のかけがえのない財産と言っていいでしょう。
ブナは山毛欅と書きますが、木偏に無とも書きます。
木材として役に立たなかったことから「木で無い」というわけです。
やがて建材として、またパルプの原料として使われるようになりますが、ブナにとって最大の受難は戦後の拡大造林政策でした。
スギなどの針葉樹を植林するため、ブナ林は皆伐されることになります。
これを「ブナ退治」と言い、ブナ林を根絶やしにした営林署長は出世したといいます。
拡大造林が大きな失政だったことは私などよりも岩手町のみなさんのほうがよくご存じだと思います。
荒れ放題の雑木林と、放置されて樹幹閉塞状態で成長の止まった植林地だらけになりました。
ブナ退治には東北に対する偏見と差別があったと私は見ていますが、そのことは別の機会に改めましょう。
このように蔑ろにされてきたブナですが、今や白神山地のブナ林は世界自然遺産です。
役に立たないと蔑まされ、軽んじられてきたブナに私は何となく親近感を覚えます。
すっくと立つブナの木のノーブルな美しさにも惹かれます。
ブナ林の外側にはよくシラカバが生えています。
戦前に「白樺派」という文学団体がありました。
シラカバのどこか異国風のモダンな容姿がその名の由来だそうです。
私はそれに対抗して(笑)、「ブナ派」を名乗ることにしました。
役に立たないと蔑まされてきたブナの味方だという表明です。
岩手町立石神の丘美術館では『瀬川強 イーハトーヴ西和賀 写真展』を開催中です。
瀬川さんは「カタクリの会」代表、日本自然保護協会自然観察指導員として西和賀のブナ林の魅力を日本全国に広めています。
写真家であり、詩人でもあります。
そんな瀬川さんのことを私は最大の尊敬の念を込めて「ブナ林の番人」と表しています。
当館で瀬川ワールドをたっぷり味わっていただきたいと思っています。