美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.89」
盛岡の冬の風物詩「盛岡文士劇」が、なんと東京でも開催されました。
私も出演者の一人としてこの大役を果たしてきましたので、そのご報告を。
今回で22回を数える「盛岡文士劇」は、毎回、チケットが発売してすぐに売り切れる人気イベントです。
これを東京でぜひやりたいという声が10数年前からありました。
たくさんの方のお力添えのおかげで、ようやく実現するに至りました。
当初、私は会場を聞いて驚きました。
「演劇の聖地」ともいわれる紀ノ國屋ホールなのです。
恐れ多いことだと思いました。
「盛岡文士劇」が、いくら地元に根付いている人気イベントでも、これは無謀なのではないかと思いました。
しかも、料金設定は6500円と、盛岡の倍以上もします。
いくら著名作家が出演するとはいえ、しょせんは素人芝居に6500円も出す人がいらっしゃるだろうか。
という具合に、いくつもの不安を抱えながら幕を開けてみれば、3公演(1月28日に昼夜2回、29日の昼1回の計3回)がすべて満席の賑わいでした。
お越しいただいたみなさんにこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。
それだけ多くの方が文士劇を心待ちにしていたということなのでしょう。
東京では文藝春秋社主催の文士劇が1977年で終わっていますし、その後は1997年に日本推理作家協会が設立50周年の記念事業として一回実施しただけです。
盛岡では1990年に「盛岡文士劇」が復活して以降、日本で唯一、毎年開催しています。
つまり、文士劇に関しては今では盛岡が本場なのです。
ほかの地域でも文士劇をやろうと試みたところがあるようですが、どこも実現しませんでした(市民劇に文士が参加するスタイルをとっているところはあります)。
それだけ難しいイベントなのです。
なにしろ、お金があればできるというものではありません。
率先して劇団を率いる文士がいること、それを喜んで(毎年!)見にきてくださるファンがいること、芝居作りを支える裏方とホールに恵まれていることなどたくさんの条件が揃わないと実現できません。
したがって、盛岡文士劇は盛岡の文化の懐の深さを示す好例といっていいと思います。
東京公演の終演後、「こんなに楽しいものを毎年見ている岩手の人がうらやましい」とか「東京でも定期的に開催してほしい」という声をたくさんいただきました。
盛岡文士劇は盛岡で見てほしいというのが関係者一同の思いです。
そんな我々を代表して盛岡市の谷藤市長も「ぜひ盛岡にいらしてください」という舞台挨拶で締めました。
とかく文化というと東京から受け入れるだけになりがちですが、このように地方発の文化も充分にありえるのです。
出演者のお一人で、盛岡文士劇には二度目のご登場となったロバート・キャンベルさんは「盛岡文士劇は盛岡が中心なのだから、東京公演はドサ回り」とおっしゃっていました。同感です。
いずれ岩手町立石神の丘美術館からも東京へドサ回りできるような企画を実施したいと密かに計画を練っています。