美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.85」
ザ・ビートルズの全盛期をライブ映像を中心に描いたドキュメンタリー映画『エイト・デイズ・ア・ウィーク』が、先月からほぼ全世界で公開されました。
ロン・ハワード監督は『アポロ13』や『ダ・ヴィンチ・コード』などの大ヒット作で知られていますが、ドキュメンタリー映画はおそらく初めての挑戦だと思います(間違っていたらごめんなさい)。
映画のタイトルは『ビートルズ・フォー・セール(ビートルズ '65)』に収められた同名のヒット曲から取られています。
当時の猛烈な多忙ぶりが「1週間に8日間も働くなんて…」という歌詞で表現されている曲です。
映画を観ると、これが誇張ではないことがよく伝わってきます。
ビートルズは楽曲作りばかりでなく、ライブ活動においても超人的な存在だったのです(ある意味では、その超過密スケジュールがザ・ビートルズの解散のきっかけとなった、あるいは解散を早めたと言っていいでしょう)。
ビートルズはしばしばインタビューにおいて物議をかもす発言をしています。
たとえば、「ビートルズはキリストよりも有名だ」(ジョン・レノン)は、その言葉尻をとらえた偏向報道によって一人歩きし、ビートルズ排斥運動にまで発展します。
しかし、数々のインタビューシーンからは、ビートルズの4人が「ひじょうに頭の切れる若者」だったことがわかりますし、当時、喧伝されていた「反抗的な若者」というイメージも容易にひっくり返されます。
この映画の白眉は、アメリカ公演に向けてのインタビューの際に、「黒人がどこに座ろうと許されるのでない限り出演しない」と発言した歴史的瞬間が見られるところだと思います。
当時、アメリカには「人種隔離」という黒人差別政策があり、コンサートホールでも別々の入り口を使い、別々の座席に座らなければなりませんでした。
これに対してビートルズは「人種差別をしているところでは演奏しない」と宣言したのです。
その結果、黒人と白人が同じ席につくというコンサートが実現し、人種隔離という高い壁が崩れていったのです。
全米ヒットチャートで1位の座に何週間いたとか、ヒットチャートの1位から5位まで独占したというようなことがビートルズの功績として挙げられますが、真の偉大な功績はこの「宣言」だと私は思います。
デビュー当時の1960年代初頭には「社会の脅威」と大人たちから批判されたビートルズでしたが、やがてエリザベス女王から勲章を受け、日本でも音楽の教科書に載る存在になりました。
つまり、ビートルズは音楽を通して、社会の成長を促したのです。
「価値は決まったひとつのものではなく、たくさんあるのだ」と世界に教えてくれたのもビートルズです。
そういう意味では美術館もまた「多様な価値観」を実践する場です。
縛られた価値観からは新しいものは生まれません。