美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
なお、過去のエッセイをご覧になりたい場合は、
「美術館通信」コーナーよりpdf形式でご覧ください。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.73」
今回は音楽の中でも特にクラシックとの出会いを振り返ってみたいと思います。
40代はじめのころ、「50になったら、クラシックをちゃんと聴いてみよう」と思いました。
もともとクラシックにも興味がなかったわけではないのですが、ジャズ、ロック、ブルーズ、ブラジル音楽をかなり熱心に聴いていましたから、「これ以上は無理」とブレーキをかけていたのです。
そのブレーキを「50になったら外そう」と決心したわけですが、結果的にはその時点でブレーキを外すことになりました。
予習をしておこうと軽い気持ちで手に入れた弦楽四重奏の演奏にすっかりハマってしまったのです。
私がハマったのはバッハの「フーガの技法」の弦楽四重奏版です。
これはバッハの最後の作品と言われているのですが、楽器の指定がないなど多くの謎を秘めています(最後の作品かどうかも異論があって確定していません)。
この一曲で弦楽四重奏に目覚め、ショスタコーヴィチ(1906?1975、旧ソ連時代の世界的な大作曲家)とバルトーク(1881?1945、ハンガリー出身だが、アメリカに移住)の弦楽四重奏曲に熱中していくことになります。
弦楽四重奏の入門としてもクラシック全般の入門としても相応しいとは言いかねる選択です。
私の悪い癖で(クラシックに限らず、美術にしても)系統立てて勉強することが嫌いなので、こんなことになってしまいます。
FMのクラシック番組をBGMとして流しているのですが、「おや、この曲は誰の作品だろう?」と私の耳を引き寄せるのは決まってショスタコーヴィチとバルトークでしたので、ちゃんと聴いてみたくなったのです。
さらに、多くの方が「難しい」とか「音楽になっていない」と感じている現代音楽にも興味がひろがっていきました。
特にシェーンベルク(現代音楽の父です)にはぞっこん惚れこみました。
そういう難解な音楽に抵抗を感じなかったのは、現代音楽にジャズ的な香りを感じたせいかもしれません。
それと並行して「フーガの技法」によってバッハに開眼した私は、どんどん深みにハマっていくことになります。
なにしろ「クラシックの父」バッハは作品数がべらぼうに多く、しかも重要な作品ばかりなので、まさに底無し沼にハマッたようなものです。
クラシックに興味を持った初期の段階でバッハをたくさん聴いたのは、後にモーツァルトとベートーヴェン、ブラームスなどを聴くときにとても役に立ちました。
無茶苦茶な聴き方をしてきましたが、最後にはちゃんと一本につながったわけです。