美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
なお、過去のエッセイをご覧になりたい場合は、
「美術館通信」コーナーよりpdf形式でご覧ください。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.69」
開催中の『古山拓水彩画展』(5月31日まで)が好評です。
ことに岩手町を描いた作品(全部で22点。内5点は絵葉書になっています)は私たちが気付いていなかった岩手町の美しさを改めて教えてくれます。
また、おもしろいことに英国の風景もどこか岩手と重なるところがあって、親しみを覚えます(逆に岩手の風景なのに英国の風景に見える作品もあります)。
私たちにとっては馴染みのある水彩絵の具による作品であることも、この展覧会の人気の要因なのかもしれません。
ところで、古山さんが用いている絵の具は、透明水彩絵の具といって、私たちが小学校で使った水彩絵の具とはちょっとちがいます。
透明水彩絵の具による水彩画の技法が日本に入ってきたのは、油絵と同じで明治時代のことです。
改めて言うまでなく、日本には南画や大和絵、肉筆浮世絵、水墨画の伝統がありました。
水と筆は共通していましたから、特殊な画材と技法を要する油絵よりも水彩画はずっと早く広まり、一大ブームとなります。
浅井忠、大下藤次郎、三宅克己ら優れた水彩画家が誕生し、若き日の萬鉄五郎(旧東和町土澤出身)もその影響を受けます。
『銭形平次』の生みの親である野村胡堂も若いころは絵描きを目指して水彩画を盛んに描きました(紫波町の野村胡堂あらえびす記念館が作品を所蔵しています)。
水彩画ブームが地方にも及んでいたことがわかります。
話を戻します。
古山さんの水彩画も、明治期に入ってきた英国流のそれです。
けれども、構図に日本の伝統や美意識が色濃く反映されているのを感じます。
それは必ずしも意図的なものだけではなく、自然に内側から滲み出てきたものだと思います。
それが私たちをいっそう強く惹きつけるのでしょう。
実は私も手すさびに水彩画を描くことがあります。
絵の具と戯れていると「ここではないどこか」へ旅に連れていってもらったような心地になります。