美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
なお、過去のエッセイをご覧になりたい場合は、
「美術館通信」コーナーよりpdf形式でご覧ください。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.66」
このところDVDで古い映画ばかり見ているので、少しばかり映画のお話を。
私が見るのはもっぱら洋画ですが、たまに邦画も見ます。
私のお気に入りは加山雄三の若大将シリーズです。
この映画では、昭和30年代から40年代にかけての東京のようすや当時のファッションを知ることができます。
私が古い映画(といっても第二次大戦後の作品ですが)を見るのは、映画そのものもさることながら、こういう楽しみがあるからです。
昭和40年代の首都高速道路はまだガラガラで、隔世の感があります。
高層ビルも少なく、ヨーロッパの都市と違って東京は変化が激しいので、もはやどこで撮ったのかわからないことも珍しくありません。
変化といえば、言葉遣いも今とはずいぶん違います。
これはテレビで昔のニュースが流れるたびに感じることでもあります。
おそらく昭和40年代の半ばくらいまでは「正しい日本語」あるいは「美しい日本語」が、ちゃんと意識されたうえで使われていたような気がします。
別の言い方をするなら、言葉に対する意識がだんだん低くなってきたということです。
ついでに言うと、これは明らかにテレビの悪影響です。
若大将シリーズでは加山雄三自身の楽曲ばかりでなく、『恋の季節』(ピンキーとキラーズ)や『老人と子供のポルカ』(左卜全とひまわりキティーズ)なども流れてきます。
劇中に流れるヒット曲によって「ああ、なるほど、あのころか」と私自身の過去と一致することがしばしばあります。
絵を見て昔を思いだすことはあまりありませんから、これは音楽が持つ特徴といっていいでしょう。
懐メロ(懐かしのメロディ)が好まれる理由もそんなところにあります。
ところで、ジャズには懐メロが存在しません。
私は1960年代のジャズを日常的に聴いていますが、それは懐かしさを求めているのではなく、あのころのジャズが今なお新鮮で、生き生きと力強い音楽だからです。