美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.113」
少し時間が経ってしまいましたが、昨年末の第24回盛岡文士劇について書きましょう。
私が出演した時代物の演目は、戊辰戦争後に戦犯として打ち首の処分を受けた楢山佐渡(盛岡藩家老)を主人公にした『柳は萌ゆる』でした。
平谷美樹さんの原作を、いつもの道又力さんが脚色したもので、公演後のアンケートなどでも大絶賛された傑作です。
平谷美樹さんは今まで「金ヶ崎から通うのは遠すぎるし、心臓が悪いので」と出演を断り続けてきたのですが、原作者が出ないわけにはいかないと説得されて初出演となりました。
存在感があり、堂々たる演技でした。
私が演じた目黒隆之輔(盛岡藩家臣)は架空の人物ですが、実在した家臣たちをモデルにしています。
当初、目黒は勤皇派に与することを主張します。
それに対して楢山佐渡は武士道を重んじ、徳川方につく道を選択します。
戊辰戦争が起こり、結果はご存じの通りです。
その結果、賊軍の汚名を着せられ、明治政府によって厳しい処分が課せられることになります。
目黒は楢山佐渡に対する処分に異議を申し立てて一歩も譲らず、武士として名誉ある死を勝ち取ります(私が言うのもなんですが、この場面はこのお芝居の白眉でした)。
楢山佐渡役の浅見智(IBC岩手放送アナウンサー)さんは初挑戦の時代物で主役という重責でしたが、誰よりも早く台詞を覚え、集中力の高い演技で出演者を牽引し、公演を成功に導きました。
楢山佐渡が報恩寺で切腹したとき、まだ幼かった原敬が別れを惜しんで泣き崩れたそうです。
原家も南部家の家臣でした。
そして、原敬にとって楢山佐渡は「人生の師」だったのです。
その史実をもとに、このお芝居でも原敬は重要な役割を果たしています。
原敬は、定評ある演技力の米澤かおり(岩手めんこいテレビアナウンサー)さんが幼年時代を、内館牧子さん原作の映画『終わった人』にも出演している菅原和彦(岩手日報)さんが壮年時代を演じました。
さらに、『おらおらでいぐも』で芥川賞を受賞した若竹千佐子さんも初出演し、話題になりました。
「来年も出たい」と文士劇熱に取りつかれたようです。
残念だったのは、本番一週間前に内館牧子さんが入院されて降板したことです(もう退院されて、お元気に活躍しています)。
私はだいたい三枚目の役が多いのですが、今回は違いました。
セリフの量もこれまでで一番多く、とても難しい役でした。
実は過去に私は2回だけ出演していません。
そのときの演目である『常磐津林中』と『世話情晦日改心(原案クリスマス・キャロル)』は文士劇史上の名作と誉れ高く、巷間「斎藤純が出ていないと名作になる」と言われています。
その評判を払拭するべく頑張りましたが・・・。